いつから、わたしたちは “日本人” だったのか

―― ペシャワール遺跡で知った「断絶」と「連続」のはざま

ペシャワールという”時間の断層”に立つ

パキスタン探訪:ペシャワール旧市街にある「Gor Khatri(ゴール・カットリー)」の遺跡を歩いてきました。
外国人の外出には安全を期して、パキスタン警察が同行するということで、ちょっと緊張しながら一緒にでかけました。

ゴール・カットリー遺跡の入口
ゴール・カットリー遺跡の入口。周囲には古代からの壁が残る

この場所は、周囲よりも高い場所にあり、だからこそ過去の支配者たちがここを占領するために争ったそうです。周囲は壁に囲まれ、いくつかの門があります。門を通ると、その先には古代の遺跡、博物館、そして複数の宗教施設がありました。こちらは遺跡の発掘現場です。

ゴール・カットリー遺跡の発掘現場
24層に及ぶ地層が見える発掘現場。2300年分の歴史が積み重なっている

土の断面からは、インド・グリーク、クシャーン、ムガル、シク、そしてイギリス統治時代……
まるで何度も”地層”を塗り重ねてきた都市の歴史が、そのまま剥き出しになっているようでした。

さらに圧倒されたのは、発掘されたコインたち。
同じ場所から、ギリシャ文字の刻まれた古代貨幣からムガル帝国の貨幣、シク王国、さらにはイギリス・パキスタン時代のものまで出土しているのです。
その移り変わりは、どこか年輪や年表などという生易しいものではなく、”断絶”という言葉が似合うほどの切り替わり方。

(左側の写真のパネルには下記のように記載されています)

層 No. 王朝 / 勢力 想定年代 該当する発掘層
1 British 1849 AD 3
2 Sikh 1834 – 1849 4
3 Durrani 1738 – 1834 5・6・7
4 Mughal 1526 – 1738 8
5 Suri 1535 – 1555 9・10
6 Saltanat
(デリー・スルタン朝末期)
1205 – 1525 11・12・13
7 Ghaznavid 910 – 1186 14
8 Hindu Shahi 822 – 1098 15・16
9 White Huns 558 – 666 17
10 Kidarites 457 – 558 18・19・20
11 Kushan 1 – 4 世紀 21・23
12 Scytho-Parthian 前 85 – 後 1 世紀 24・27
13 Indo-Greek 前 190 – 85 24・27
  • いちばん上のレンガ造補強層(パネルでは層 3)は 1849 年、英領支配開始時に積み足されたもの。
  • 層が深くなるほど年代が古くなり、最下層でおよそ 2300 年前(インド・グリーク)の地面に到達。

「歴史はつながっている」というより、”何度も街が生まれ直す”場所。

そう感じたとき、「果たして日本はどうだったんだろう?」と思いました。


“断絶” —— 教科書では知っていたけれど、はじめて体感した

教科書では「侵略による支配の交替」を学びます。
ペシャワール周辺も、アレクサンドロス大王の遠征以来、さまざまな勢力に征服されてきたと習いました。
だけど、実際に土に刻まれた層とコインを目の当たりにすると、「あぁ、本当にここでは前の文化や建物を壊し、全く新しい支配が始まっていたんだな」と腑に落ちます。

わたしはそんな”歴史の断絶”を、「頭でしか知らなかったんだな」
と痛感しました。

「日本はどうなんだろう?」
わたしたち日本は、ずっと一つの国名を名乗ってきたとされるけど、それって世界的に見てどれほど特異なことなんだろう?

「日本は、いつから日本だったのか?」

ペシャワール周辺は、何度も支配者が変わりました。
ならば逆に、「日本はずっと日本だった」って本当?

  • 弥生時代の人たちは、まさか「私たちは日本人だ」なんて思っていないだろう。
  • 7世紀頃に『倭』から『日本』へ国号を変えたときが、”日本”の始まりと呼べる?
  • それとも、明治維新で「近代国家として日本が成立した」ことが、本当のスタート?

わたしは、「日本は世界でも珍しく、外来勢力に支配されずにずっと続いた国」と、どこか”当たり前”だと思っていました。
でも、弥生や縄文から「日本」であったわけではない。
だからこそ、「ずっと続いている」と言われるものに、本当に中身が連続しているのか?と疑問が膨らみました。

「続いた国」と「断絶の国」

博物館に展示されたいたコインの歴史を日本の歴史と比較してみます。

博物館に展示されたコインコレクション
博物館に展示された様々な時代のコイン。異なる文字や肖像が時代の変遷を物語る

Gor Khatri 出土コイン × 日本史 対照表

No. ペシャワールでの年代区分 西暦(目安) 同時期の日本史上の時代・出来事
01 Indo-Greek Period Coins 紀元前 2 世紀 (-200 〜-100) 弥生時代前期 — 稲作の定着/青銅・鉄器の登場
02 Kushan Period Coins 紀元前 1 世紀 (-100 〜 0) 弥生時代後期〜弥生末 — 甕棺墓・環濠集落の発達
03 Hindu Shahi Period Coins 9 〜 11 世紀 (800 〜 1100) 平安時代 — 貴族文化の最盛期(『源氏物語』10-11C)
04 Mughal Period Coins 1526 〜 1738 戦国〜江戸前期 — 織田・豊臣・徳川/鎖国体制の成立
05 Ghaznavid Period Coins 977 〜 1186 平安末〜鎌倉初期 — 武士の台頭・源頼朝が幕府開く (1185)
06 Sikh Period Coins 1838 〜 1848 江戸後期(幕末前夜) — 天保の改革・浦賀来航目前
07 British Period Coins 1847 〜 1947 幕末-明治-大正-昭和初期 — 開国・近代化・日清日露・太平洋戦争
08 Zahir Shah Coins (最後のアフガン王) 1933 〜 1973 昭和戦前-戦後・高度成長期 — 敗戦(1945)→東京五輪(1964)
09 Post-Independence Pakistan Coins 1947 以降 昭和後期-平成-令和 — 戦後復興→バブル崩壊→現在

これだけ激動のペシャワールに対して、私達はずっと「日本」。これは結構衝撃でした。

  • 連続 vs 断絶
    日本列島は「外征による支配交替」をほぼ経験せず、同じ国号を保った稀有な例。一方ペシャワールは「ユーラシア交易路の交差点」として支配者が幾度も入れ替わり、その痕跡がコインという”断絶の化石”に刻まれている。
  • アイデンティティの時間差
    弥生人に”日本人”という自覚はなく、近代(明治以降)の国民国家形成でようやく共有された―という点も、独立の瞬間が明確なパキスタンと対照的。
  • 問いを深めるために
    「名前が続く国」は、本当に中身も続いているのか? それとも気づかない断絶を内側に抱えているのか?──コインの層は、そんな問いを私たちに投げかけている。

ペシャワールは、何度も国が変わる支配を経験しています。
支配者が変わるとき、前の文化はどこかに押しやられて、あるいは埋められてしまう。
文化や歴史は続かない。(パキスタンの案内役の方がそう言っていた)

一方の日本はどうだったか。
外からの侵略をほとんど受けず、基本的に自ら主体的に文化を取り入れてきた。
「長い時間を一つの名で呼べる」ことは、世界ではかなり珍しいです。

歴史が連続してきたと言っても、日本にも長い歴史の中でさまざまな宗教や文化が紹介されてきました。
仏教や儒教を取り入れ、明治になれば「国家神道」として政治的道具にされ、戦後はまた宗教の一形態に戻った……。
かたちは残っていても、その中身は大きく変容し、場所によっては断絶に近い変遷を経ています。

そう考えると、もしかしたら「ずっと日本だった」とされるこの列島にも、いくつもの”見えない断絶”が横たわっているのかも。

扉
ゴール・カットリー遺跡の入口

それでも続いている”何か”がある?

一方で、日本が長い間「日本」として外征支配に大きくさらされなかったからこそ、

  • 季節を愛でる感覚(桜や紅葉の時期の習慣)
  • 言葉にしにくい美意識(侘び寂び、もののあはれ)
  • はっきり宗教と言えない”神さまの気配”

そうしたものが、”当たり前の風景”として息づいているのかもしれない。
でも、ここはまたの課題に。今のわたしには、「続いてきた日本」をどう捉えたらいいのか、少し分からないままにしておきます。

パキスタン探訪記1: 警戒地域のミュージアムで見た“多宗教共生”のかたち――ガンダーラ仏像が語るもの

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