AIと人間、その共創の可能性

AIと人間
人はアイデンティティやパーソナリティが時として邪魔をする。しかし、AIはアイデンティティを持たない良さがある。そして人間が、アイデンティティやパーソナリティを超えたところの「意味への意志」に向かうために、AIが味方になるだろう。

毎日のようにAIツールの使い方を試している私に、友人がこう言った。「あなたは新しいことを学ぶのが得意だね」。私は微笑みながらも、どこか違和感を覚えていた。新しいことを学ぶことが特別得意なわけではない。ただ、相手が人間であれAIであれ、「この相手は何が得意で、どうすれば最大限に能力を発揮できるだろう?」と考えることが好きなだけなのだ。



人間が抱える「自己限定」

しかし、人間と向き合うときには特有の難しさがある。人はしばしば、「これは自分には無理だ」「自分はこういう人間だ」と、自分自身に決めつけをしてしまう。その瞬間から可能性が狭まり、組織の中で与えられた役割を淡々とこなすだけの存在になってしまいかねない。組織の効率化という観点から、「得意な人に得意なことを任せる」ことは有効だろう。けれど、その仕組みが人間を単なる「道具」として扱うことにつながってはならないと感じている。 人間は本来、「役割」や「できること」を繰り返すだけの存在ではないはずだ。私たちは自らの生き方や考え方を成長させ、自由に未来を切り拓く力を持っている。そこには個人がもつ「アイデンティティ」や「パーソナリティ」が深く関わっている。

アイデンティティとパーソナリティとは?

「アイデンティティ」とは「自分は何者なのか」という自己認識だ。国籍や職業といった社会的枠組みだけでなく、自分の人生観や価値観なども含まれる。一方、「パーソナリティ」とは、「どんな行動や性格の傾向を持つか」という個性を指す。例えば社交的か、慎重派か、創造的かといった特性だ。 これらは社会や他者と関わる上で重要な要素だが、固定的に捉えすぎると「自分はこれしかできない」と決めつけてしまい、自らの可能性を制限することになりかねない。むしろ、アイデンティティやパーソナリティは変化や成長を促す柔軟な枠組みとして活用されるべきではないだろうか。

枠組みを超える「意味への意志」

「自己限定」をしない人々にも出会う。彼らは現在の自分をあくまでも通過点と考え、「自分はこれからどう生きたいのか」「どんな未来を作りたいのか」と常に問い続けている。彼らはアイデンティティやパーソナリティを超えて、自分の内側から湧き上がる強い意志、「生きる意味」への情熱を持っているように感じる。もしかすると、この生まれ持った「意味への意志」が、人間が作り出した枠組みを超える原動力になっているのかもしれない。そして、その枠組みを超える挑戦を支えてくれる存在として、アイデンティティやパーソナリティを持たないAIがあるのではないだろうか。

AIがもたらす柔軟性

AIはそもそも人間のようなアイデンティティやパーソナリティを持たず、自らを限定することがない。人間が設定した性格(パーソナリティ)を演じることはできるが、それは本質的なものではない。AIはどんな枠組みにも縛られず、とても柔軟に機能する。AIと向き合っていると、人間が無意識に作り上げた「自己限定」という枠を超えるためのヒントをもらえるように感じるのだ。 人間は内面から湧き上がる「生きている意味」を原動力にしつつも、自らが作った枠組みによって可能性を限定してしまうことがある。そこに、どんな枠組みにも縛られないAIが関わることで、人間が自分自身の枠を超えていく手助けが生まれるのだと思う。

AIと人間の共創をめざして

私がしているのは新しいツールを学ぶことではない。人間であれAIであれ、相手の得意なことを見極め、それをどう活かして共創していくかを考えるプロセス、つまり「関わり方の開発」に他ならない。 これからも、自己限定のないAIの柔軟性と、人間らしいアイデンティティやパーソナリティに縛られながらも生きる意味に挑戦する意志が織りなす「共創」を追求していきたい。それこそが、わたしが「生きる意味を問う」ことなのだと思っている。
Share the Post: